"The Witness"というゲームを、やっているのを横で眺めたり、自分で操作したりしながら一通り最後までやったので、感想と考察を残しておきます。
途中からネタバレ込みの感想と考察となるので、プレイ前の方でネタバレを気にされる方はご注意ください。なお、ネタバレが含まれ得る部分の前には注意喚起を付します。
最初にネタバレしない範囲で感想と考察をまとめておくと、
「これ、研究に携わる人が体験するアレだ」
です。
『研究に携わる人』には、任意の属性が入っても良いです。
ある意味で人を狂わせるゲームであるのは間違いないと思います。見える世界が変わってしまう、そんなゲームです。
ということで、以下、詳細を書いていきます。
ゲーム紹介
開発元・販売元はThekla, Inc.で、プロデューサーはジョナサン・ブローです。
初出は2016年です。
このゲーム、SIEの「Play At Home」で無料配信されていたゲームタイトルのうちの一つなので、購入済みとなっている方もいるのではないでしょうか。
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Steamで配信もされていますし、箱でも遊べるようです。
ゲームのジャンルは、「パズル+オープンワールド」というのが妥当でしょうか。
Steamに紹介文があったので、以下は一部を引用しました。
目が覚めてみると、あなたはたった独りで謎に満ちた奇妙な島にいます。驚きと挑戦が待ちうける島に。
自分が誰なのか、どうしてここにいるのかも分からないまま、あなたは探検を始めます。謎解きの手がかりを見つけ、記憶を呼び起こし、無事に家に帰れることを願いながら。
もう少し詳しく言うと、一人称視点で島のあちこちにある一筆書きパズルを解いていくゲームです。
特に攻略順は設定されておらず、自由に島を探索できます。
ゲームシステム的な観点からいうと、レベルデザインが良くできていて、「なんだこれ→わかった!」という体験が数多く得られます。
ただ、本当に何の説明もなされない(テキストによる説明が一切ない)ので、プレイヤーがルールを「理解する」しかありません。
そういった意味では、人を選ぶかもしれませんが、少なくとも脱出ゲームが好きな人は問題ないでしょう。
試行錯誤する場面は多くあるかもしれませんが、必ずヒントが提示されており、解けないことはありません。解けないとしたら、その解き方をまだ知らないだけです。
とはいえ、パズルの難易度はそれなりに高く、全く攻略を見ずに一人でやると50時間くらいかかるかもしれません。
二人でやっていたので、それなりに早く終えることはできました(おそらく30~40時間)。
また、ミニマルながら美しい風景が多くあり、ただ島を探索しているだけでもそれなりに楽しめます。
ネタバレなしの感想
個人的にパズル自体は好きなので、楽しく解くことができました。
ただ、一人でやっていると行き詰まったときにイライラするかもしれません。可能ならば、何らかの形で複数人でやるほうが良いかもしれません。ゲーム体験自体は何ら損なわれないと思います。
むしろ、ああでもない、こうでもないとやりながらのほうが楽しいかもしれません。
パズルそのものは比較的単純なのですが、一定の「ルール」があり、無数の解が存在し得るときは「ヒント」に従って特定の解を選択することになります。
この「ルール」はチュートリアル的なものが存在するので、無理なく理解することができました。
「ヒント」は、注意深く観察する必要があり、また、一人称視点であることもよく活かされていて感心しました*1。
(ちなみに、そのままの設定だと少し酔い、設定をいじると解消されました。)
また、「ヒント」は多くの場合隠されていたり、抽象化されていたり、多少の論理的な導出が必要だったりするので、環境に対して非常に注意深くならざるを得ず、環境の些細な点に対しても疑念を抱くようになります。
さらに、あちこちに「意味がありそうでなさそうなもの」がたくさんあります。『謎に満ちた奇妙な島』と称しているくらいですから、それは文字通りではありますが。
ある意味で人を狂わせるゲーム、というのは、この点からくるとも言えます(詳しくはネタバレありのほうで述べます。)。
プレイ中、プレイ後には、普段の生活においても、ついつい疑い深くなってしまい、「見えなかったはずのものが見えるようになる」ミーム汚染が引き起こされるのは間違いないでしょう。
少なくともわたしは「見える」ようになってしまいました。ある意味で、「世界の見え方が変わるゲーム」です。
ちなみに、あちこちに音声やムービーがあり、結構お勉強になります。制作陣の教養が垣間見えました。
もしプレイ中の方でここを読んでいるとしたら、スタッフロールのようなものをまだ見ていないのであれば、まだ見ていないエンディングがあるよ、とだけ言っておきます。
頑張って探せと言われても難しいでしょうから、ヒントを書いておきます。
「ゲームが終わった後、もう一度ゲームを始めて少し進めると、あなたは見えなかったものが見えるようになっているはず。」
ということで以下、そのエンディングまで見た人用の感想です。ご注意ください。
いや上のヒントでもわからん!という人向けに、一応もう少し踏み込んだヒントも最初に書いておきます。
ネタバレありの感想と考察
まず、エンディングに至るための方法についての踏み込んだヒントです。
最後のパズルを解いた後、そのままゲームを開始できるはずです。
そのまま開始すると、最初に解く一群のパズルが関係するものに、例のものが見えるはずです。ただし、これはクリア直前のデータをロードしても見えません。
さて、以下、本当にエンディングまで見た人用の感想です。ご注意ください。
どうしてもエンディングを見れない、という人向けに、やり方が下に書いてあります。
このゲーム、最後のパズルを解くと、謎のエレベーターのような乗り物が起動し、島のあちこちを飛び回りながら、すべての解いたパズルがリセットされていきます。そして、スタート地点に戻されます。
一見、え?????となるのですが、そのまま始めると、何の変哲もなく二周目が始まります。
ここで、二周目なんだからなんか違っているだろう、と思うのはノベルゲームのやりすぎでしょうか。
しかし、ゲーム上は何の変化もありません。
変化しているのは、プレイヤーの認知です。
上ではあえて触れていなかったのですが、このゲームでは、風景中にパズルが隠されています。
風景の中で、丸があり、そこに線がつながっていれば、それをなぞることができます。これが、プレイヤーの認知の変化です。
風景中のパズルを発見しても、通常は何も起こりません(エフェクトは出ますが)。
ここで、二周目を始めた、認知の変化が起こったプレイヤーが城の門のような部分を開けるパズルを見ると、そこに風景中のパズルを発見することができます(空に光る丸い球体が浮かんでいますね?おあつらえ向きに光る棒もありますね?)。
これをなぞると、なんと門が別の入り口に変化します。中に入ると、スタッフロールの代わりに、音声でスタッフの紹介がされる録音端末があります。
そしてどんどん奥へ進んでいくと、一つだけパズルがあり、さらに奥に進んでいくと、突然ムービーが流れ始めます。
これがおそらく『エンディング』です。
内容は、おそらくウェアラブルカメラで撮影したムービーです。
ゲーム開発者が、ゲームの世界から戻ってきたような描写がされています。
ただ、そのカメラ装着者が完全に「見える人」になっており、パズルではないかと色々なものを疑い、丸があると触りにいっています。そして外のベンチにのようなものに寝っ転がり、ムービーは終わります。
でも、本当にこれだけです。島にある意味深な数々の謎が解き明かされることは、少なくとも直接的にはありません。
とはいえ、『記憶を呼び起こし、無事に家に帰れることを願いながら』は無事達成されたわけです。
しかしながら、プレイヤーは「見える人」になってしまっています。
いやこれで終わりかい!とプレイ直後は思いましたが、しばらくして、案の定、街中で丸と線を見つけ、それでわたしは思ったのです。
「あのゲームのテーマは、研究に携わる人が体験するアレだ」と。
冒頭でも書いたように、『研究に携わる人』には、任意の属性が入っても良いです。
何かというと、そのことを深く知ったり学んだりした人(例えば研究する人)は、普段もその見方が抜けない、ということです。そして、見える世界が変わってしまう、ということです。
具体例を挙げると、わたしは貴金属(金とかプラチナとか)に携わる研究をしていたことがあったのですが、どうしてもジュエリーの類を見ると、どうしても材質を見てしまうし、その性質や作り方なども思い出してしまうのです。我ながら気持ち悪いですが、場合によっては電子にまで思いを馳せてしまうのです。
当たり前ですが、その研究をするまでは、そのように見えたことはありませんでした。
あと、わたしは幸か不幸か、『材料』という分野を学びましたので、世の中の様々なものが『材料』として見えていますし、おそらくそれは他の人とは違うことでしょう。
この現象は、おそらくありとあらゆる分野で発生すると思います。
学問に分類される分野はもちろんのこと、雑学的なものも該当するでしょう。
また、存在を認知することで、見えるものが変化することもあるでしょう。
ありとあらゆるものが該当するので例示は難しいですが、イチゴの例を挙げてみましょう。
ご存じの方も多いとは思いますが、我々が口にしてるイチゴの実は、厳密には果実ではありません。食べているのは、種のようなもの(痩果)が乗っている台のようなもの(花托)だそうです。*2
これを知っていると、イチゴに対する理解が変化し、少なくとも食べている部分は、他の果物と異なる部位であることを認識します。
これは、丸と線がなぞれることを知り、本質的に丸と線がパズルに見えてしまう構図と同じはずです。
他にも、とある人が実は元○○だったことを知り、その人の一挙手一投足がいちいち○○に見えて仕方ない、とかもありうるでしょうか。
しかし、ともすればこれは場合によっては厄介で、例えば研究に携わる人は、四六時中研究のことをふと考えてしまう可能性があります。
研究が仕事なら、仕事とプライベートの線引きはある意味で不可能であるといえるでしょう。
プライベートが仕事のことを考えない時間であると定義されるなら、わたしは仕事とプライベートを分けることができません。世の中に知っている材料が溢れているからです。知るとは、そういうことであると思うのです。
ただ、このように「見えてしまう」現象は、人は知ることができる以上、生きていくうえで避けられません*3。
もっと言えば、知の営みはこの「見えてしまう」の連続であるともいえます(著名な学者等の言葉がゲーム中に出てくるのはそのためであると思っています。)。
この「見えてしまう」現象を、ゲームとして再現し、プレイヤーに体験させてしまう構成と演出は、見事と言わざるを得ません。そして、そのような体験をさせ、ある意味で人を狂わせるこのゲームに対しては、ただ『傑作』という言葉を当てはめるのは何か違うような気さえしてしまいます。
人間の知の本質に迫り、直接それを表現しようとした(と思われる)このゲームに対しては、もはや畏敬の念を抱いています。
わたしは、作者からのメッセージとして、「見える世界が変わると、新たに見えることがあるよ」を主に感じ取りました。
確かに、見える世界が変わることは、楽しいことが多くあり、また新たな発見があり、それによってまた見える世界が変化していくものです。
そのきっかけが何であれ、知るということは、そういった楽しさをもたらしてくれます。
さあ、これからも見える世界を変えていきましょう。