ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

他人が一緒になるのだから

世の中には二種類の人がいると考えています。
自分と、他人です。


最近友人が結婚したり、友人がそんな話を進めていたり、自分自身もそんなことになりそうだったりして思うことがあるのです。

赤の他人同士が結婚して(少なくとも戸籍や建前上の)家族にいきなりなるってなかなか無理があることなのでは?ということです。


よく考えてみてほしいのですが、生まれも育った環境も違う二人が完全に理解し合えるわけがないのです。
そもそも自分自身の理解だって怪しいというのに、です(少なくともわたし自身はそうです)。


なのでわたしはこう思うのです。
「お互いに全てをわかり合うことは諦めよう」と。

そしてもう一つ、
「加点方式で考えよう」と。



お互いに全てをわかり合うのを諦めることは、「相手のことをわかっている」という幻想と、「自分のことをわかってくれている」という期待とを捨てる、ということだと考えています。
他人同士はわかりあえないものだ、という観念を常に持つ、とも言えると思います。

これの意味するところは、自分のことは自分にしかわからないので、それをちゃんと伝えようね、ということです。

そう遠くない将来、頭の中を覗けるようなデバイスが開発されるかもしれませんが、それまでは何も伝える努力をせずに「言わないけどわかって!」というのはトラブルのもとになるでしょう。
同様に、「あなたのためを思って」も言わなきゃわからないし、すれ違う原因だよねと思います。


ただしここで重要になってくるスタンスは、「理解はしなくとも、とりあえず認める」というものになると考えます。

自分のことを伝えることはもちろん重要ですが、相手のことを聞いて、理解できなくても「なるほどそうなのね」と情報をインプットしておく、ということをしなければならないと思います。

なぜならば、少しでも理解し合うためには相手のことも知らなければならないからです。
歩み寄りの姿勢って大事だと思います。


「他人なので完全にわかり合うのは無理だけど、少しでもわかり合う努力をしようね」というスタンスが良いのではないかと思います。



加点方式で考える、というのは、前の話に通じるところもありますが、「他人に期待しない」ということだと考えています。

こうしてくれるだろう、やってくれるだろう、というように、当然のように他人に期待するから裏切られたときに負の感情がわくのであって、まあやってくれないよね、くらいに思っていれば、やってくれたら嬉しいし、やってくれなくても特に何も思わない、ということです。


期待する水準があって、そこを満たさないから減点していく、という減点方式でものを考えがちですが、そんな完璧な人は自分の頭の中にしかいませんし、何らかの理由でその水準以下となったときに更に減点されていきます。
要するに悪いところばかりに目がついてしまう、ということです。

これに対して期待する水準を持たず、ここがいいね、あれがいいね、という加点方式でものを考えるとそのようなことがありません。
良いところが目につきやすい考え方だと思います。


しかしどうしても悪いことや不快なことが目につくことはあると思います。
むしろ全く悪いことがないというのは、むしろ不健全であるとすら思えます。

そのような場合には、「怒らないで聞いてほしいんだけど、あなたのあまり良くないところはこういうところだと思うの」とまず伝えたうえで、「だからこういうときはこうして欲しい」と、思う点+具体的な改善方法のセットで伝えるというようにすべきだと思います。

ここで重要なのは、このように言うだけでなく、相手に言われた場合は素直に受け入れるというスタンスと、素直に言い合えてきちんと聞いてくれるという信頼関係であると考えています。

言っても聞かないのであれば言うだけ無駄なのでストレスを抱えるしかなくなってしまいます。


「余計な期待はせず、でもお互いをリスペクトして、前向きに加点方式でやっていこうぜ」というスタンスになるのかと思います。



お見合い婚は自由恋愛からの結婚よりも結婚後の幸福率が高いという話を聞いたことがありますが[要出典]、ある種の諦めがあって余計な期待がないからそうなるのかもしれませんね。

幸せな結婚に必要なことって、赤の他人とうまくやっていく、という覚悟なのかもしれないなあと思います。
幸せな結婚というよりは、ストレスの少ない結婚生活、のほうがより正しいのかもしれませんが。