ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

運も実力のうち

昨日世界卓球を見ていたのですが、バドミントンをやっていて感じることと近いところがあるなと思ったので今のうちに書きとめておこうと思います。



・考えている時間がない

ラリーのテンポを考えるとそもそも頭で考えてなにかするような時間はないと思います。

ラリー間は、次はどうやって点を取りに行こうか、これが来たらこう、あれに対してはこう、ということを色々考えはするのですが、いざラリーが始まってしまうと意識したこと以外はラリーに集中してしまうのでほぼ何もできません。

前のラリーから何が悪かった/良かったので次はどうやったら点が取れるか、ということの繰り返しが試合なんじゃないかと思っています。


・なんかよくわからん『流れ』がある

なんかよくわからないのですが、連続で点を取れたり取られたりという『流れ』があると思っています。
戦術としてこうしたらうまくいった、というのはもちろんあるのですが、確かに正しい戦術をとっているはずなのに諸々の要因で得点に結びつかない、ということが往々にしてあるように思います。

いかにして取られる流れを短くするかというところが試合に勝つうえで大きなところなんじゃないかと思います。
しかしどうやって流れを変えるかと言われると、明確な答えを持ち合わせているわけではありません。
強いて言うならば間のとり方になってくるのでしょうか。


・練習でできないことは試合でできない

試合の中で成長している…!みたいなことがないわけではないですが、練習で打てないショットがいきなり打てるようになることはないと思います。
成長するとすれば、試合中になにか戦術のようなものに気づいて実行できた、という類のことかと思います。

練習で幅を広げておくというのが非常に重要で、試合中にそれを引き出すことによって対応できる、ということが勝ちに繋がるんじゃないかと思います。


・運も実力のうち

試合というものは、どうしても自分ではコントロールできないところがあるという意味で『運要素』があると考えています。

競技によるとは思いますが、試合をするときに圧倒的な実力差があれば勝ち負けがひっくり返ることは
ないと言えるでしょう。
逆に勝敗が運に左右されるような領域ということは、運というエラーバーが実力差よりも大きいということで、運が絡むだけの実力はあるよね、ということなんじゃないかと思います。

あと一見ただのラッキーに見えても、その運を引き寄せるようなことを意識/無意識を問わず練習でしていた、という意味では言葉通り運も実力のうちなんだと思います。

実力を底上げするという努力は当然として、運要素を有利に働かせるような努力があってもいいんじゃないかと思いました。



なんにせよラケットスポーツはメンタルのコントロールが重要だなあと思いました、まる。