ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

結婚が趣味を取り上げる

わたしの父はわりと前からTwitterをしていて、鍵付きのアカウントでもなんでもないので、息子であるところのわたしはアカウントを知っています。

ひたすら自分の趣味のことをつぶやいていてその仲間たちとわいわいやっているだけの健全なアカウントです。
気持ち悪いリプライを送っているようなアカウントじゃなくてよかったとつくづく思います。
裏垢があるのかもしれませんが、わたしはいずれにせよ観測していません。


そんなこんなですが、ふとツイート内容を覗いたとき、とても考えさせられることが書いてありました。

要約すると、一番体力と時間と金のある時期に結婚して子供が産まれたので、体力を必要とする趣味において最も充実するはずの時期を逃した、というものでした。
リスクをおかすこともできなかった、というような内容もありました。

わたしが知る限り、父は子供が好きですし、わたしを育てるということもかなり楽しんでいたようですし、母との仲も至って良好です。
なのでそのツイートを見たときに少し意外に思いました。
そして逆に少し安心もしました。

というのは、わたしも父の血を引いていますので、自分の趣味に没頭したいという気持ちがとてもよくわかるからです。
ああ、この人はやっぱり趣味人なんだな、と思いました。


父にとってきっと結婚と子育ては悪くないことだったでしょうが、趣味人として機会を喪失してしまったということを後悔するということは、自分の趣味をを最優先にすることができなかった、という思いがあったのだと思います。

これがもし、わたしの母が父の趣味のものを捨ててしまうようなことをしていたのであれば、その後悔ややるせなさをぶつける先があると思います。

しかし母はそんなことをする人ではありませんし、父から趣味を取り上げたのが「結婚」や「子育て」という世間一般からすると悪いことではないので、父が趣味人としてやり場のない思いを抱えるのは考えさせられるものがあります。


大人になる、歳をとる、また結婚するというのは、自分の可能性を狭めていくということでもあるのだなあと感じました。

その可能性を狭めるものは、世間一般からすると悪くないこともある、ということを心に留めておかなければ、いつか父と似たような思いを抱えてそれを酒と共に呑み干さねばならない日が来るのかもしれないと思いました。

実家に帰ると、父が酒を呑みながらTwitterをしているのを時々横目で見ますが、時折寂しそうな顔をするようにみえる理由がわかった気がしました。


この先の人生でいくつもの選択を迫られ、その度に自分の可能性が潰えていくでしょうが、あったかもしれない未来とどう付き合っていくのかということが一番しんどいことなのかもしれないと感じました。

隣の芝生はいつだって青いものですから、今の自分の芝生が青いといかに思いこませるか、また他人の芝生のことをいかに考えないようにいられるか、ということなんだろうと思います。