ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

好きになる努力

好きになる努力って大切だなあと最近思います。

好きであるということは、継続すること、情熱を注ぐことの必要条件であるとすら思います。
「好き」という状態は、対象に対する情報を集めたくなるものですし、それに割く時間は苦にならないものです。
むしろ進んで行動するものです。

まさに「好きこそ物の上手なれ」ですし、対偶をとれば「下手の横好き」であるともいえます。



とはいえ、好きになるということはそう簡単なものでもないと感じてもいます。

対象の情報が何もないところからいきなり好きになることは難しいでしょうし、短期間で好きになれるものでもないと思います。
物事には必ず良いところと悪いところがあるとも思いますので、良いところのほうが大きいのか、悪いところを許容できるのか、という問題もつきまといます。


特に仕事や授業がそうだと思うのですが、比較的受動的な物事を好きになる、というのが特に難しいのだと思います。
クソみてえな仕事を振ってくるやつが悪い、面白い授業をしない先生が悪い、というのはまあそうなのですが、ただただ退屈に過ごすよりも、楽しく過ごせるほうがいいに決まっています。

ここでポイントとなるのは、「興味を持てるところを見つける」ことだと思います。

一番手っ取り早いのは、自分の好きなことに結びつけることではないでしょうか。
興味の持てそうな情報に変換してしまってから頭にインプットするのです。
興味のある情報は頭に入りやすいらしいのですが[要出典]、まあそれはそうだという気はします。


もう一つは、とりあえずなんか面白そうと自己暗示をかけてしまうことです。
とりあえず面白そう、楽しそう、と興味を持ってみるのです。
単純作業であっても、作業の意味を考えてみたり、速度を上げるためにはどうしたらいいかを考えてみたりすると良いのではないかと思います。
(中には本当にどうしようもないものがあるのはそうだと思います。それは諦めて楽しいことを考えながらこなしましょう。)

興味を持ってみる、興味を持てるところを見つける、ということを通して、受動的ではなく能動的に情報を得ていくというスタンスが好きになるための近道ではないでしょうか。


「好き」に関して、研究者としては必要で、普通に生活していても楽しく過ごすためにはあったほうが良いと思うことがもう一つあります。
それは、「新しい好き」を見つけることです。

研究者としては新しいネタを見つける、また新たな分野に手を伸ばすためには必要なことだと思います。
日常生活においては、好きなものに費やす時間は日々の楽しみそのものですし、新たに好きなものを見つけるのは趣味の幅も広がりますし、気持ちを豊かにしてくれるものだと信じています。

これに関しても、心持ちをどうするかということが重要であると考えています。

好きではないというフィルターをかけてしまうと、入ってきていたはずの情報も素通りしてしまいます。

誰しも好きなことはあると思います。
それに関連していることを見出してみる、好きなことで例えてみる、というのは幅を広げていくことにつながると思います。
日々の生活の中でもちょっとしたことを面白いと思えるような、斜に構えたり穿った見方をしないような心持ちもたまには必要だと思います。

研究者としては非常に重要な能力だと考えていて、というのも、まず専門分野に関する深い知識を持っているのは大前提ですが、これに加えて他分野の知識や考え方を吸収する必要があるという思想があるからです。

最先端の研究とは言いますが、そのとんがった部分を支えるための土台は必要なんじゃないですかということです。
土台が太くなるからその先に伸ばしていけるというものではないでしょうか。



何でも興味を持ってみる、興味を持てるところを見つける、ということは好きになるための努力だと言えると思います。
情報が溢れかえるご時世ですので、どの程度のフィルターをかけるかということが難しいところですが、少しでも好きになるための努力をして楽しく過ごしていきたいものです。