ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

人はブラックと言うけれど

わたしの出身研究室、お世辞にもホワイトとは言えないところでした。
夜遅くまで電気がついているので、周りから見れば確実に黒く見えたことと思います。
(まあ学科全体としても黒いしそもそも大学全体としてもアレだったのですが…)


最大の要因は、実験の性質上どうしても時間がかかるために拘束時間が長くなることです。

ブラック企業や研究室は何をもってしてブラックたりうるかというのは議論があると思いますが、拘束時間が長いというのは大きな要素かとは思います。


しかしその実、電源を切るだけの待ち時間であったり、たまに様子を見るだけであったり(サンプルが死んでいるのは稀によくある)、とずっと何かをしているというわけでもなかったのです。
スケジュールを工夫すれば早く帰れはしますし、勝手に残っているだけ、という側面もありました。

当人たちは特に実験をするわけでもなく資料を作るわけでもなく(たいてい作らなければならないのですが)、ゲームをしていたりTwitterをしていたりということもあり、残っている半分くらいは遊んでいるようなものでした。

居室にプロジェクタとスクリーンがあったので、「とんでもねえ、待ってたんだ」から始まるバイオレンスアクション映画が上映されていたり、1話が終わったと思ったらAパートが終わっただけというガンギマリアニメの上映会が催されていたり、マリオカアァァァ エェェェィィイをしていたり、ハイラルの大地を駆け回っていたり、ひどいときはD論を書いている横で梨穂子はかわいいなあ!をしていたりという素晴らしい研究室でした。
(D論を書いていた人が、癒やしがほしいという理由で後輩にアマガミをやらせてBGMにしていた、という説もありますが。)

さらにボードゲームの類が先輩方の寄付で研究室に置いてあり、麻雀もありました(麻雀はわたしが持ち込みました)。


つまり、残りたい人たちがわいわいしながらやっていただけだったのです。

ただこれを賛美するつもりはなく、ダラダラやっているのは良くないことですし、実質的な拘束時間が長いのは良くないことであると認識しています。


ここでわたしが言いたいのは、一つの側面だけを見てブラックだと言い切ってしまっていいのか、ということです。
拘束時間が長いことが耐え難い人もいれば、自分がやりたいことができないのが耐え難い人、人間関係がこうだと耐え難い人、等々、人によって何がブラックか、ということは違ってくるはずです。

人が集まって組織になるのですから、組織のトップや集まる人によってどうしてもその組織のカラーが出てくるものです。
そのカラーに自分が合うか合わないか、というだけであると思います(法律や良識が守られないのはもちろん論外なので、そういった本当の意味でブラックな組織は淘汰されるべきだと考えますが)。


ちなみに、出身研究室の人間関係は少なくともわたしにとって文句のつけようがないものでした。
学術には厳しくもとても面倒見が良く、学生に合わせてくだり、それでいてお茶目な先生がトップで、先生と仲が良く優秀でフレンドリーな助教がいて、オタクもしくは理解のある学生が集まるような環境であったためです。

教授と准教授の仲が悪く、学生が板挟みになるだとか、アカハラをされるだとか、とんでもねえドクターがいるだとか、学問をしに行っているのにそんなしょうもないことで煩わされる方が、わたしにとってはよっぽど耐え難いし、ブラックであると思うのです。


確かに拘束時間は長かったけれど、興味を持って学問(とゲーム等)に費やす時間を多く確保できたのは、人はブラックと言うかもしれませんが、人間関係にも恵まれたこともあり、良い研究室生活だったなと思います。


社会人もいつの間にか2年目になっていますが、いざ仕事となると何が『ブラック』な職場となりうるかなあと考えてしまいます。

仕事内容、賃金等の待遇、人間関係あたりが要素で、一つ欠けるのはまだ仕方ないとして、二つ欠けるとかなりストレスに感じ、三つ欠けると辞めてしまうのかなあと思います。

もちろん人によって何を重視するかというのはあると思いますので一概には言えませんが。


社内外の色々な話を聞くと、隣の芝は青く見えるものだなあというのが最近の気づきです。