ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

巨人の肩となれ

"google scholar"(URL: https://scholar.google.com/)は、アカデミアの世界に生きてきた人にとってはおなじみの検索エンジンでしょう。

何かというと、論文や特許専用の検索エンジンです。

ここの検索ボックスの下に、「巨人の肩の上に立つ」(英語では"Stand on the shoulders of giants")とあります。

この意味は、先人の知恵や発見の集大成の上に立って自分の発見があるよ、という意味だと考えています(決して屠るためではない)。
(Wikipediaの記事もありました。巨人の肩の上:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%82%A9%E3%81%AE%E4%B8%8A)


この考え方はアカデミアに限った話ではなく、人間として重要であると考えています。
というのも、人間の繁栄は、繰り返し巨人の肩の上に立つ人がいたことに支えられていると考えられるからです。


人間がここまで繁栄している理由の一つとして、先人の知恵が脈々と受け継がれていることが挙げられるでしょう。

ここで、我々は先人の知恵をどのようにして手に入れたか、ということを考えてみましょう。
人間の寿命は長くても100年程度ですから、それより前の人間から直接話を聞くことは不可能です。

そういった先人の知恵は、何かしらの記録媒体から得るか、伝え聞くしかありません。
無形の知恵として伝えていくことは不可能ではないですが、多くの人間にそれを伝えることは難しいでしょう。
対して、何かしらの記録媒体に文字やデータとして知恵を残し、それを読みとることによって知恵を広める、という手段では(印刷技術等が発展したからという側面はもちろんありますが)限りなく多くの人間に知恵を伝えることが可能です。


このように文字やデータとして知恵を伝えることができる(手段を得た)ことは人間の反映にとって非常に重要であるといえます。

なぜならば、こういった知恵を得ることができた人間は先人の失敗を回避し、下駄を履いたうえで物事に取り組むことができるからです。
ゼロからのスタートではなくなるわけです。
余計な失敗をしなくて済む、とも言えるでしょう。


例えば、毒キノコをまとめた書物があったとしましょう。
この書物を読んだ人間はそこに書かれている毒キノコを食べずに済む、と考えられます。
これだけでも十分に価値がありますが、更に重要なことがあります。

この書物を読んだとある人間が、「毒キノコの多くは派手な色をしている」ということに気づいたとしましょう(実際には地味な毒キノコもありますし派手な無毒のキノコもあります)。
この気づきが生まれることに先人の知恵を得る大きな価値があると言えます。
フィールドワークをせずとも、キノコに関する知恵を得て、キノコの色と毒の有無について仮設を立て、それを検証することができるのです。

仮に毒キノコが派手なものだけでなかったとしても、毒キノコには派手なものが多いという知見をまた知恵として残したしましょう。
この知見を得ることができれば、書かれていることが確からしいならばわざわざ毒キノコと色の関係を調べ直す必要もなく、また試してみたが違ったこと(毒キノコは赤いという仮説等)をもう一度検証する必要もありません。

さらに、こうして新たな先人の知恵があれば、毒キノコは派手なものが多いらしいが本当か?という疑問を持つ人、新たなキノコが見つかった際にその毒の有無について予想する人、等が出てくることが可能です。
またそれについて検証すれば新たな知恵となります。
こうして人間は知恵を積み重ねてきたと言えます。


つまり、先人の知恵は失敗を回避するだけでなく、新たな物事の捉え方を与えてくれますし、そこから新たな知恵が生まれ、知恵が連鎖していくこととなります。

そうして現在まで積み重なってきた知恵の集合体が「巨人の肩」であると思うのです。



アカデミアの世界で生きてきた人は、少なからず、「巨人の肩の上」に立って高いところから新たな知見に手を伸ばしていく、ということをしてきたはずです。

であれば、先人たちがしてきてくれたように、自分の知見はのちの人のために「巨人の肩」の一部にしていくべきではないでしょうか。

もし自分がやったことがうまくいかなかったとしても、そのことを残すことには価値があるはずです。
少なくとも研究室などの小さな単位では役に立つはずです。
先述したように、同じ失敗を繰り返す人がいないだけでも、それは立派な成果でしょう。


先人たちの仕事をリスペクトしたいのであれば、それを使ってこんなことができました、こんなことがわかりました、とまた誰かの先人になることが一番のリスペクトではないでしょうか。

今日も誰かの知見により巨人は大きくなっていることでしょう。
その肩の上に立ったときの景色がどうなっているのか、また自分が大きくした巨人の肩の上に立っている人がどのような景色を見るのか、わたしは楽しみです。