ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

技術者組織の難しさ

今年の夏、実は技術士の二次試験を受けられるらしい、ということを知って情報収集をしております。

別にこれといって目的があるわけではないのですが、自分が頑張ってきたことは世間一般からしてこれくらいのレベルだよね?というのを問うてみたいと思ったからです。
(敢えて理由をつけるならば、客観的に自分の能力を認めてくれるものはないのか、と思ったからです。)

合格率は分野にもよりますが平均10 %程度[要出典]と簡単に受かる気はしませんが、それだけの「仕事」をしてきたと信じているのでチャレンジしてみようと思います。


ちなみにそもそも技術士ってなんじゃいという話ですが、日本技術士会によれば(技術士 Professional Engineer とは:https://www.engineer.or.jp/c_topics/000/000009.html)

“(前略)また、「技術士」は、国によって科学技術に関する高度な知識と応用能力が認められた技術者で、科学技術の応用面に携わる技術者にとって最も権威のある国家資格です。
 さらに、「技術士」は、「技術士法」により高い技術者倫理を備え、継続的な資質向上に努めることが責務となっています。(後略)”

とあります。

多少付け加えれば、高度な専門知識を活かして業務等に取り組むことができ、さらに技術者とはかくあるべき、という技術者倫理を備えいて、日々自己を研鑽できるような資質を持つ人、ということになるでしょうか。

(ちなみにもちろんのことですが、ここでの技術者は「狭義」のエンジニア(ITエンジニア)ではなく、技術に関わる様々な分野のエンジニアが含まれます。)

何か大層なことが書いてある気がしますが、ある意味技術者としては当たり前なことかな、と考えています。

というのも、ということをそれぞれの要素について解説します。


まず、技術者として何かしらの対価をもらっている以上は、自身の持っている高度な専門知識を用いて世の中や顧客の困りごとを解決することは責務である、と言っても過言ではないと思います。
これはそもそもある程度の専門職であれば全てに適用できるロジックであり、役割を全うせよ、と言っているに過ぎません。

次に、技術者として技術に携わっている以上は、社会に対して大きな責任を負っていることを自覚し、責任を果たすための倫理観を持ち合わせているのは当然のことかと思います。
プラスの意味でもマイナスの意味でも、技術が人々の生活に与える影響は多大です。
影響するものには、技術に関する情報によるものも含まれていると言っていいでしょう。
専門家が不正をはたらくことはもってのほかですし、間違った情報を発信することもあってはなりません。

最後に、継続的な資質の向上に努める、とありますがこれも当然求められるでしょう。
というのも、技術は日進月歩ですぐに一昔前の知識は陳腐化してしまうからです。
高度な知識を維持するためにも、最新の知識を求めていく姿勢は重要と考えられます。
さらに、技術の応用という観点からは、技術の本質を理解している必要があると言えるでしょう。
技術を応用するためには、少なくとも応用元と応用先、の2つ以上の分野の本質を理解しているべきでしょう。


こうして並べてみると、一つ一つの項目は満たしている技術者はそれなりの数になるでしょうが、技術だけでなくモラールの面も含めてこれら全てを兼ね備える技術者となると、合格率が低いのも頷けます。

また、教授のような人が技術士になれるかというと、そうでもないと言えると思います。
技術的にいくらとんがっていても、取れない資格だということは前述した通りです。
その意味でも、もし資格として取得することができれば大きな強みになるのかなあと思います。



前置きがだいぶ長くなりましたが、本題としては、技術者の組織において技術者の実力を評価して給与等に反映するのは非常に難しいことなのでは?ということです。


技術者といっても当然それぞれ人ですから、持っている特性やスキルは様々です。
それらの特性を最大限に発揮できるポジションに配置されているかというと、それはおそらくないでしょう。
(コンフォートゾーンから一歩踏み出すことが成長につながるのは言うまでもありませんが今回は言及しません。)

技術的にとってやりたい仕事ができないというのはモチベーションの低下に繋がりますが、一方で、組織としての方針に合致しないことは組織としてその仕事をさせるわけにはいかないでしょう。

さらに、研究や開発のセクションでは、当然実力も関与することは否定しませんが、仮に成果で評価を行おうとしようものならば、運要素も絡んでくると言えるでしょう。

また、そもそも技術者を評価するのは技術者でないと不可能、ということになりそうですが、技術者にも専門分野があるわけで、わからない分野のスキルは正確に評価できないでしょう。


さて、こうなってくると、技術者の実力とは?という話にもなってきます。
何を評価して、何に対して給与等を支払うのか?ということにもなってきます。
組織のミッションがあり、それが達成されたとき、それにどの程度貢献したのか、ということで給与等が支払われても良いでしょうが、それは適切な分配か?という話はいつまでもつきまとうでしょう。

組織の公平な運営、さらに組織の発展を促すためには適切な評価ルールを作るべき、と言えます。
しかし、技術者組織におけるそのルールの運用は、技術分野が多岐にわたる以上、前述したように属人的にならざるを得ません。
結局のところ、成果が出る出ないよりも運要素が強くなることは想像に難くありません(まさに上司ガチャというものです)。


そうなってくると、上から降ってくるミッションを何も解釈せずにただ実行するだけの技術者が評価されることにもなりかねません。
そのミッションが技術的に見当外れであったり、効率が悪かったり、一昔前の方法であったりしても、です。
言われたことだけを着実にこなして、ある意味で「評価されるためには余計なこと」をやらないのは、おそらく評価されるためには手っ取り早いでしょう。
しかし、それは「技術者」と言えるでしょうか。
わたしは、ただの「作業者」でしかないと考えています。

技術士に関する情報収集をしている中で、「マニュアル技術者」という言葉を見て少し辛い気持ちになりました。
組織の中で技術者として評価されることと、成長していくこととを両立させるのは、悲しいことに非常に困難を伴うことのように思われます。
様々な手段があるでしょうが、両立していけるように努力をしなければならないと感じています。


技術者を育てられる組織のルールとはどういったものであるべきか、今後上の立場となっていったときに示せるようになっておかなければならないと思いました。
もっとも、これは技術者の組織だけでなく、どのような組織であっても共通する課題なのかもしれませんが。