ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

今はそういう時代じゃないから

社会人になってもう3年目になってしまいました。
ぼちぼちお前も後輩の指導をしろと言われ、様々な場面で後輩の指導をしたことを思い出しながらやっております。

月並みな悩みではありますが、いつも後輩をうまく導くのは難しいなあと思っております。
人によってみんな性格は違いますので、万能な指導の方法はありません。
いつもその場を離れるとき、彼/彼女の何か役に立っただろうか、これが正解だっただろうか、といつも思いを巡らせてきました。
そしてしばらくたったあと、後輩がこんな成果を残した、というのを聞くと、少しは嬉しいものです。
もちろん、その後輩が努力したからであって、わたしの手柄だと言うつもりは微塵もありませんが、うまくモチベーションを与えることができたのであればいいなあ、と妄想しております。
逆にうまくいっていない、という話を聞くと、何ができたことがあったのではないか、と思ってしまいます。

先輩たるもの、後輩にとって不利益があってはならないと思いますし、しなくてもいい同じ苦労は味合わせるべきではないと思っています。
自分がしてきたことを土台にして、更に上を目指してほしいと思いますし、そうしてもらうようにすることは後輩に対する先輩の責務だと思います。
それをしないのであれば、ただその組織に長くいるだけの存在であって、そのようは存在はよほど個人の成果が大きくない限りは、組織に対して利益をもたらさない、とも考えています。
これは部下と上司の関係にも言えることで、部下の指導を怠ることは組織に対する不利益である、とも言えるでしょう。


さて、そんな思いを持っているわたしですが、果たしてどこまで踏み込むのが正解か、という点でかなり迷っています。
一言で言えば、どこまでのレベルを求めるか、になるのだと思います。
高いレベルを求めたいけど、本人はどうしたいんだろう、いやでもこれはきちんとしていて損はないと思うし……しかし言い過ぎるのも良くないし……といった具合にバランスをはかりかねています。

上司と部下という確固たる上下関係ではないにせよ、先輩と後輩という関係であっても、下から行き過ぎた指導だと言われてしまえば、それはハラスメントに該当してしまうでしょう。
もちろん怒鳴り散らすようなことは絶対にしませんが、良かれと思って、また、このレベルは当たり前だと思って、指導してしまうことは大いにありそうです。
おそらくモラルハラスメントに該当するでしょうか。

モラルハラスメントの厄介なところは、大抵の場合本人に自覚がないことかなあと思います。
する方は良かれと思ってやっていることが多いので、お互いにアンハッピーになってしまうのが救えないところです。
「本人の意向を無視したしごき」は「ただのいじめ」ととられても反論の余地はない、と自戒を込めて言及しておきます。


まだわたしも若い部類に該当すると思いますが、理不尽な怒られ方をした体験(部活動、バイト等)の数々はよく覚えています。
怒られる、という恐怖を利用して指導をしている指導者を何人も見てきました。
恐怖のように負の感情を用いたコントロール方法に一定の効果があることは認めますが、その効果は一時的であり、従わせることは可能でも、指導された人の自発的な行動を促すものではありません。
怒られないために行動するだけの人間ができあがるだけです。
そして「指導」が「行き過ぎた」場合、何かしらのお咎めを受けることでしょう。
もう今はそういう時代ではないのです。


後輩と先輩という関係であるならば、本人のやる気を引き出しつつ、適切に道案内をすることが適切な指導になると思います。
決してアドバイスをすることではない、と思います。
直接的にも間接的にも強制することはできませんので、ある意味では背中で語ることにもなるかもしれません。

先輩としては、そのようになんとか気づきを与えることしかできないのかもしれませんが、後輩が気づきを得たとき、トレースできるよう、適切に軌跡は残しておかねばならないと思っています。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり、です。


しかし、もし部下と上司という関係になったのであれば、踏み込まないわけにはいかなくなると思います。
何か言われるのが怖いから、といったことでは組織にとって不利益をもたらしかねませんし、本人のためにならないことも多くあるでしょう。
したがって、部下に対して適切な形で指導しなければならないことが必ず来ると思っています。

この際は、適切な理由を添え、本人の意向を見極めたうえで、モチベーションを与えられるようにしなければならないでしょう。
部下に対する理解と、お互いの信頼関係が必要になってくるものだ、と理解しています(のでそうしなければならないと思いました)。



しかし、このように部下本人の意向を優先するとなると、「指導」がしにくい、という側面は当然あるでしょう。
立場を変えれば、下の立場として上からきちんとした指導を受ける機会が減る、ということになります。

指導を受けられないとなれば、能力を伸ばしていくにあたって自分で学んでいくしかありません。
自分で学ぶ習慣がある人は勝手に能力を獲得していき、そうでない人は指導もされないのでほぼ横ばい、となり、時を経るにつれて乖離が大きくなっていくのは想像に難くありません。

より良い仕事をしようと思ったら、下としては自分で伸びることを求められる時代になってきているのだと思います。