わたしが覚えている限りだと、だいぶ放任主義で育てられたように思います。
なにかうるさく決めごとを守らされたような記憶はないかなあと思います。
かといってほったらかしにされたわけではなく、わたしがやりたいと言ったことに対して協力し、見守ってくれた両親には感謝してもしきれません。
なかなかできることではないなあと思います。
今日の話はそういうのではなく、父に言われてわたしが今でも信念として持っていることについてです。
わたしの父は昔から絵を描くことが好きで、それが興じてか美術関係の教育を受けているようです。
もちろんそれは知っていたので、父に絵の描き方を教わろうと思ったことがありました。
こっ恥ずかしいところもあり、自分が描いた絵に対する講評をもらうのではなく、そもそもコツは何かというように尋ねたのだと思います。
返ってきた答えは「絵を描くということは対象を理解すること」のような旨でした。
それに加えて「理解した上で自分が感じたことや自分に視えたものを描け」と言われたように記憶しています。
そのときのわたしの絵に対する考え方は、『絵は写真のようなもので、いかにそれらしく描けるか』というものだったのです。
なので上手い下手があって当然で、学校の成績もそれでつけられると思っていたのです。
見えたままを写真のようにきれいな絵にすれば良いと思っていたのです。
対象の性質や骨格というものはどうでもよく、さらには自分の感じたことや「視えた」ものなど関係がないと考えていました。
しかし父に言われて、まず描くものがどういうものか考えたうえで自分の思ったことを絵に描いてもいいのかという新しい発想は得ました。
それからというもの、図工や美術の授業はとても楽しくなりました。
言いたいことを絵や作品にいくら込めても、気づかない人は気づかないし、何か感じ取ってくれる人もいることに面白さを覚えました。
なるほど美術の授業って、自分の考え方を表現する手段や方法の例を学ぶ場だったんだなと今では思います。
ここまでにするとなんかそれっぽい話なんですが、父からはもう一言あったのです。
「人と同じことはするな、面白くない」と。
わたしとしてはこっちが強烈に頭に残っていまして、図工や美術の授業では絶対クラスメイトと同じものを描いたり作ったりするものか、と思うようになっていました。
確かに芸術としてはおそらく正しいし、研究をするにしてもそのスタンスは正解の一つだと思います。
研究活動は「世界で今まで誰もやっていなかったこと」にチャレンジすることになりますので、とても楽しいものでした。
しかし、日常生活まで「人と違う」ことを求めると、どんどん変な人になっていくわけです。
たとえば人と同じ服を着るのが嫌なので、ユニク○のようなところで服を買えなくなってしまいました。
下着と靴下はよく買いますけど。暖かいし丈夫だし。
バトミントンをやっていても人と同じラケットを使うのが嫌なので、ちょっとマイナーなメーカーのものを選んでいました。
G○SENのラケットはいいぞ。
こうして人と違わないと気が済まない体質になってしまいました。
もはや父にかけられた呪いのようなものです。
教会にお布施をして呪いをといてもらえないものでしょうか。