ぴろりのくせになまいきだ。

世間に平和はおとずれなぁい

仕事とはRPGである

RPGはなんの略ですか、といわれればrole-playing gameです、というのはすぐ出てくると思います。
文字通り役割を演じるゲームのことで、もともとはテーブルゲームであるとのことです(wikipedia; ロールプレイングゲーム, https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0 , 2019年8月23日閲覧)。

本来のRPGテーブルトークRPG(和製英語)として日本でいうコンピュータゲームのRPGとは区別するそうです。

日本でのRPGというと、各キャラクターを操作して適切と思われる行動をとることによって物語を進行させ、経験値等によるパラメータや技の習得といった成長要素があり、舞台となる世界を冒険する、といった要素が含まれていると思います。

テーブルトークRPGは、ロールプレイングの要素があるテーブルゲームであると言って差し支えないと思われます。
(いわゆるTRPGはサイコロの出目にだいぶ左右される印象がありますが。)

共通するのは、ある意味である役割を持ったキャラクターを演じて(ロールプレイングして)目的を達成しようとする、というところであると言えます。


このロールプレイングという要素は、よく考えてみると生活のあちこちに見いだすことができます。

例えば、コンビニの店員は何らかの理由でその仕事をしており、客に物やサービスを提供するという役割を演じている、と捉えることができます。

塾講師のバイト、事務員、医者、政治家、プロゲーマー、ユーチューバー等もある種のロールプレイングであるといえますし、先生と生徒、親と子供、夫と妻、上司と部下、といった社会的な関係性もロールプレイングによって成立していると考えることができます。

人生そのものが自分というキャラクターを演じるRPGじゃないかというようにも思いますし、まさに「他の誰でもない これはお前の物語だ!」であるとは思います。


話が少し広がりましたが、仕事はまさにロールプレイングによって成立していると思うのです。

大なり小なりの組織の中で、それぞれの役割を演じることによって組織の目的を達成するという構造はまさにRPGであると考えます。

個々人にはそれぞれのスキルがあり、さらにはスキルの習得もあり得ますし、得意不得意や能力値のようなものを考えることも可能でしょう。
さらにパラメータの成長率や補正値、特殊技能のようなものも設定しても良いかもしれません。
それらの能力に応じて(そんなことが実現しているかはともかく)、役割が割り振られていると考えられます。

そして肩書というものは個々人の役割を示すものであり、組織でのロールプレイングをしやすく、さらに当人にそのロールを認識させるために存在すると考えています。


まず一つ言いたいのは、組織をうまく動かして目的を達成したいのであれば、割り当てられたロールは果たすべきであるし、割り当てたロール以上の働きを期待してはいけない、ということです。
逆に言えば、実際に課せられている役割と肩書が合っていないのであれば肩書を是正すべきである、ということです。
肩書の上方修正であっても、下方修正であっても、という意味合いです。
どちらの場合にせよ、不平不満のもとでしょうし、放置すればモチベーションの低下を招くと考えられます。

もし能力的に向いていないロールなのであれば(そのような采配をするのが悪いのですが)、そのロールを演じるしかないと考えています。
例えば部下のマネジメントが苦手であっても、その役割を果たそうとすべきであり、その努力を怠るのであればそのような肩書は与えるべきではないと思います。

これらのことから、組織で仕事をしていくのであればそれはロールプレイングの要素を含む、と思うのです。


しかし現実とRPGの大きな違いとして、メタ的な存在であるコンピュータゲームのプレイヤーや、ゲームマスターのような進行役は存在しないことが挙げられます。

ゲームマスターはいるじゃないか、という反論があるかもしれませんが、ルールブックのようなものを持っていて物語の結末を知っているような人がいるでしょうか。
あくまで俯瞰的に指示をしているのは上司のロールであるだけであって、決してどうすればどうなるということを予め知っている神様のような存在ではありません。

しかし、人員の配置を決めるようなメタ的な存在は必要でしょう。
実際には人事部門にあたるのでしょうか。

ここで問題となるのは、このような役割であるが故に権力を持ちすぎる、という点です。
人をなんだと思ってやがるとか、偉そうだとか、人事が悪く言われることが多いような気がしますが、メタ的な立ち位置にあるが故にそう感じさせてしまうのではないでしょうか。

あくまで、ロールプレイしている、という意識で、人事部門としての自分はどのような判断を下すべきか、ということを意識する必要があると思います。
人間はどうしても感情に支配されてしまう生き物ですから、自身の好き嫌いではなく、規則や規程等に沿った判断をすべきかと思います。
(それだけだと嫌われるのはそうでしょうし、そもそも規則や規程をどう作るのか、改定するのか、ということもありますが、今回は触れません。)

もう一つ問題としたいのは、人事部門がメタ的な立ち位置とはいえ、あくまで『メタ的』であるということです。
つまり、ただの参謀であって、別に正解を知っているわけではない、ということです。

肩書と役割について先述しましたが、この肩書を与える際には、先を見通せるわけではないので、臨機応変な対応ができるような配置にすべきではないかと思うのです。

そして肩書を与えるに値する『人材』がいないのであれば、『人財』にすればいいのです。
せっかくパラメータの上昇やスキルの獲得ができるのですから、それを促せばいいのです。
もちろん、誰に何を覚えさせてこうなって欲しい、そしてこんなパーティを組みたい、というところまでセットであるべきだと考えますが。



仕事とはRPGであるとタイトルにつけましたが、我々はコンピュータRPGのプレイヤーでもゲームマスターでもなく、登場するいちキャラクターであると考えるのが妥当ではないかと考えます。
そして全員があくまで登場キャラクターであり、ある意味で平等であるという思想を持っていたほうが生きやすいのではないかと思います。

こういう役割を与えられたんだな、ということを理解してそれを全うし認められる、という日常は、社会性の動物である人間にとって必要なことなんだろうと思います。

ただ、与えられたキャラクターを演じるのが苦痛と感じるのであれば、こんなご時世ですし、どこかの神殿でジョブチェンジすれば良いと思います。
ゲームのように簡単でお気軽にジョブチェンジできれば良いのですが。